「君たちはどう生きるか」夏子の「大嫌い」と眞人の「夏子母さん」の理由

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「君たちはどう生きるか」のドラマいいですよね。夏子と眞人のドラマがよすぎるので語ります。ネタバレ嫌な人は避けてください。

宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を映画館で1回みただけの感想。ガイドブック販売前なので、細かい点は間違いや見落としがあるかもしれません。

眞人が夏子に心を開けない理由

母親を助けられなかった事をいまだに引きずっている眞人。小学生が火災現場に駆けつけても母親を助けるのは無理だろうと思うのは大人の考え。それでも何かできたのではないかと思ってそうなところが実に小学生。

たしかに父親も再婚急ぎすぎです。母を亡くして数年もたってなさそうな眞人の気持ちの整理がついてないのは仕方ない話。10年そこらしか生きてない小学生にとっては、環境の激変に心がついていかないのはやむなし。

でもこの調子だと、おそらく父親の再婚も母に対する裏切りや心変わりと受け止めてるでしょう。死別だから、法的にも倫理的にも何ら責められるような事ではありません。でも眞人はまだそれが割り切れる年齢ではないのです。

眞人にとっては、新しい母親を受け入れるというのは実母への裏切りだという認識かと。「母親というのは一人しかいないもの」という認識なら、どちらか一人しか選べない。ならば亡き母親に義理を立てるのもわかります。

眞人は夏子が嫌いだからそっけない態度をとっているわけではありません。そもそも新しい母親というのは、まず実母が亡くならないと存在しない。だから夏子を受け入れるという事は、実母が亡くなった事を肯定してるような気持ちになるのでしょう。それが嫌で夏子にそっけない態度をとり続け、他人から夏子について聞かれると「お父さんの好きな人だ」と答え続けた理由でしょう。

まあ父親が夏子と仲良くしてるのを裏切りと感じていたなら、息子の自分くらいは亡くなったお母さんの味方をしてあげたい。そんなかんじだと思いました。

夏子が嫌いなら、夏子の「部屋に会いに来て欲しい」という願いも無視し続けるはず。夏子の具合が悪いのは悪阻のせいで「眞人さんのお母さんも悪阻が重くて」という婆やさんの話を聞いて、コロッと手のひらを返して夏子のお見舞いに行くとこなんかかわいいじゃないですか。本質的にはボンボンで優しい子だというのがわかります。

夏子の「あんたなんか大嫌い!」は本心なのか

現実世界では優しい夏子に対してそっけない態度をとり続けていた眞人。下の世界(塔の中の幻想世界)に去った夏子を連れ戻しに行きます。産屋の中にいる夏子を連れ出そうとするものの、夏子は拒絶。鬼の形相で「あんたなんか大嫌い!」と叫ぶ夏子。

さてこのシーン。これぞ夏子の本心で、今まで眞人に見せていた優しさは嘘だったのか?まあ違いますよね。眞人を大切に想う気持ちも本心。そして「あんたなんか大嫌い!」も本心。

実の母親だって子供を愛していますが、言う事を聞かない子供に対して腹を立てる事はあるでしょ?怒りに任せて言葉が出てるだけ。怒ってると理性で感情の制御をするのが追い付かなくて、感情を正確に言語化する能力が低下。だから文字通り「思ってもない事」を口走ったりするんですね。感情は嘘じゃないけど、上手く言語化できてない。そんなかんじ。

夏子の芝居がすごかった

「あんたなんか大嫌い!」夏子の芝居すごかったですよね。鬼の形相と書いたけど上品に描いてますよね。人の生の感情が出た表情ってある種下品で不快な物。下品に露悪的に演出せず、エンタメとして不快にならない程度に描き、なおかつ情報が桁落ちしてないかんじ。原画担当が知りたい(笑)。エンドロールで見る限り原画は錚々たるメンツでしたが、誰が担当したんでしょうか。

今までの宮崎駿監督作品だったら、こんな生々しい怒りの表情は描いてこなかったように思います。怒りをぶつけられた方も「おっかねー」ってかんじのコミカルなリアクションで緊張緩和してたはず。今回はなにか雰囲気が違いますね。

眞人の芝居もすごかった

そして夏子から「あんたなんか大嫌い!」と言われた眞人の表情。あの傷ついた表情もすごい。あの優しかった夏子から生々しい怒りをぶつけられて傷ついたことで、眞人も気がついたのです。夏子にそっけない態度をとり続けていたのは夏子を傷つけるためではなかったけれど、意図せずして夏子を傷つけていたことを。

となると、咄嗟に出てきそうな言葉は「(傷つけて)ごめんなさい」か「そんなつもりじゃなかった」の二択だと思うじゃないですか。でも「ごめんなさい」では謝罪なのか許しを求めてるのかわからない。「そんなつもりじゃなかった」なら言い訳か夏子の感情を否定してるみたいに聞こえる。どちらにせよ、保身に見えるわけです。

ところがここで「夏子母さん!」でしょ。その前に「叔母さん!」も言ってたような気がするんですが。まあうろおぼえなので。

言いたい事は「そんなつもりじゃなかった」に近いけれど、印象は全然違いますよね。眞人は傷ついても冷静に理路整然と言い訳できるほど大人じゃなくて。それでも眞人は「夏子の事を母親と言えなくとも、家族だと思っていた」から出てきた「夏子母さん!」なわけですよ。「母親は一人」ではなく、「実母」と「夏子母さん」が並立するという概念が眞人の中で生まれたというか、理解できたのでしょう。

人間ドラマいいよね…

ほんとにまさか、こんないぶし銀みたいな演出してくるとか想定外でした。もちろん派手なシーンもいっぱいあるのですが、人間ドラマが実にいいかんじ。

「『君たちはどう生きるか』は宮崎駿監督の集大成」と言われるとちょっとピンとこないけど、楽しめたのでよかったです。